童話と科学 信じることと知ること

 最近は特に、親から虐待を受けて亡くなる子どもや、いじめを苦に自殺する子どもの報道を耳にするようになりました。子どもを取り巻く環境が年々ひどくなってきているのでしょうか。
学校の先生や教育委員会の対応のまずさや児童相談所の連携のまずさなどが指摘されています。
 

 けれども、このような問題は、今に始まったわけではなく、虐待やいじめなどは昔からあったことです。今の子どもたちの状況と昔の子どもたちの状況はどう違うのでしょうか。

子どもたちの健やかな成長は誰もが望んでいることです。子どもたちは未来の社会の担い手になるのですから。子どもたちと関わる私たち親や教師はいったい何ができるのでしょうか。

 そんなことを考えていたとき、村瀬学という人の書いた「銀河鉄道の夜とは何か」という本を思い出しました。

この本は、今から20年も前に書かれた本ですが、その当時も友だちを殺した女子中学生の事件や少年Aが顔見知りの幼い友人を殺し、首を切りそれを校門の前に飾った事件などショッキングな事件が相次いでいた時代です。

 村瀬氏は最初に問いを立てています。
 子どもが、自分で死を選んだり、身近な人を殺したり、自分の命を顧みず人を助けたりできるのは、いったい何時なのかという問いです。
 「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治の作品です。

 ジョバンニという少年は母親と二人暮らしの貧しい家の子どもです。父親は漁に出たまま行方不明になっています。そのことで級友からいつもいじめられていました。今夜は星祭の日で級友たちはお祭りに出かけています。ジョバンニだけが一人お母さんからの用事で牛乳をとりにいかなければなりませんでした。その途中、ジョバンニは丘に登り寝転んで星空を眺めていました。ジョバンニは午後、学校で聞いた先生の話を思い出していました。
「川だといわれたり、乳の流れだといわれたり、このぼんやりと白いものは本当は何かご承知ですか」

ジョバンニは授業で先生の銀河についての科学的な話を聞いてそうかと思いつつ、いや夜の空はそうではない。どこかの本で読んだサソリや勇者や蛇や魚がいるような気がしています。

すると夜空に汽車が現れ、気がつくとジョバンニはその汽車に乗っていたのです。

 その汽車には様々な人が乗ってきます。キリスト者、少年、少女、尼さん、鳥捕り、そしてカンパネルラ。カンパネルラはジョバンニを唯一いじめない級友でした。

これらの人々はある意味において「物語」を信じている人々。つまりこれらの人々はみんな、事実だけに生きるのではなく、物語をも同時に生きようとしてきた人たちだと村瀬氏は言います。

 この汽車はまさに物語と科学の間(境界)を走るものとして設定されているというのです。

 これらの乗客は次々に「汽車」から降りていきます。乗客が「事実」か「物語」かのどちらかに傾きすぎたら、この汽車から降りなければなりません。境界にいることができなくなると、人はどちらかの領域に向けて出発していかなければなりません。
 カムパレルラもいなくなってしまいます。

 ジョバンニは現実の世界に返り星祭が行われているところに行ってみると、カムパネルラが級友を助けるために川に飛び込み行方がわからなくなっていることを知ります。

 この物語から、この汽車は死後の世界を走っていると解釈する人もいます。しかし村瀬氏は少年から青年に移行する時期の物語として描いていると解釈しています。少年であれば、自分の身を守る範囲で助けようとするか、あるいは誰かに助けを求めただろうというのです。カンパネルラは少年から青年へと旅立って行ったのだと。

 青年期に旅立つ者はみな一人になるといいます。青年たちが新しい関係を得るために古い関係を切っていくようなところも現れます。

 つまり一方でたくさんの関係の死を体験せざる得なくなるというのです。それは、家族や友人との口論というレベルから、家族、知人への暴力、殺傷といったレベル。そして自死までの様々なレベルをふまえて現れてきます。これらの現象は、青年が生まれるためには、なんらかな形で「死」が体験されなければならないことを物語っています。

 最後のシーンでカンパネルラは青年へと旅たっていきました。ジョバンニはその領域に踏み込むことができず、彼と別れて少年へと立ち戻っていきます。

 さて、子どもたちに目を向けて見ますと、物語を生きる時期が今の子どもたちはとても短くなっているように思います。また、逆に現実の世界にいつまでたっても入っていけない子も増えているように思います。両極端になっているのでしょうか。

 お話や絵本を読んであげた後、以前勤めていた保育園では、「そんな話、うそや」と言う子がいました。
 中学生で自殺した子は、学校と家庭だけの狭い世界の中でしか生きることができず追い詰められたのでしょう。もっと想像したり空想したりして世界を広げることができていたらと思います。

 テレビの世界では、映像として写るので、想像する力も空想する力も奪われます。ゲームにのめりこむと偽りの世界でしか生きられなくなります。

 昔話や、良い絵本は感情を豊かに育んでくれます。

「感情が育つとこの世の善悪をますますしっかりと判断することができる人になります。善や正義を喜びと感じ、悪や不正を悲しみと感じるようになります。」とシュタイナーは言います。

 昔話には、人をだますもの、ずるいことをするもの、悪事をはたらくものなどいろいろなものが登場しますが最後には必ず善なるものに幸福が訪れます。 
 お話を通して困難な状況を乗り越える力と生きるための指針が育まれますように。
そして、どの子にとっても難しい青年期への移行の手助けとなってくれることを願っています。
 
そのためにもお話や絵本を幼児期だけではなく小学校へ行っても、たくさん読んであげたいものです。

by kusunokien | 2019-04-08 20:39 | くすのき園つうしんより

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