見えないものの大切さ

  
『ほしと たんぽぽ』

 あおい おそらの
     そこ ふかく、
 うみの こいしの 
     そのように、
 よるが くるまで
     しずんでる、
 ひるの おほしは
     めに みえぬ。

 みえぬけれども
     あるんだよ





  
 みえぬ ものでも
     あるんだよ。

 ちって すがれた
     たんぽぽの、
 かわらの すきに、
     だァまって、
 はるの くるまで、
     かくれてる、
 つよい そのねは
     めに みえぬ。

 みえぬけれども 
     あるんだよ、
 みえぬものでも。
     あるんだよ。

 
この詩は童謡詩人の「金子みすゞ」の作品です。


 わたしと ことりと 
     すずと

 わたしが りょうてを
     ひろげても、
 おそらは ちっとも
     とべないが、
 とべる ことりは
     わたしのように、
 じべたを はやくは
     はしれない。

 わたしが からだを
     ゆすっても、
 きれいな おとは
     でないけど、
 あの なる すずは
     わたしのように
 たくさんな うたは
     しらないよ。

 すずと ことりと
     それから わたし
 みんなちがって
     みんないい

 この作品はとても有名です。「みすゞ」の研究をされている矢崎節夫氏は、みすゞの作品を読んだとき、人間中心の自分の目の位置をひっくり返される、深い、優しい、鮮烈さを感じたと述べておられます。みずゞという人は人間だけではなく、鳥や虫、魚や木や草花、あらゆるものの側に立ってやさしいまなざしを向けられる人でした。そして、目には見えないものの大切さに気づいていた人でした。
夏休み中に、全国で行われている学力調査の結果の発表がありました。この学力テストは、小学生6年生と中学生3年生を対象に毎年実施され、2017年度からは政令指定市ごとの結果を公表しています。大阪市は指定市20市の中で平均正答率が2年連続で最下位でした。

 この結果を受けて、大阪市の吉村洋文市長は激怒し、来年度以降の全国学力調査の結果を、校長や教員の人事評価とボーナスの額に反映させる意向を明らかにしています。それと同時に各学校に配分される予算の額にも反映させる意向だというのです。
 このニュースを知り、背筋が寒くなりました。大阪市の教育はいったいどうなってしまうのだろうかと…。

 教育評論家の尾木直樹さんは、
 「大阪市がテストの結果を人事評価などに反映させれば、学校は点数を上げるためだけの指導を競い始め、教育が荒れてしまう。家庭の経済格差や生活環境などテストの得点を左右するデータは多く知られているのに、それらの分析からテストの結果の低迷の理由を探ろうとせず、現場の教師たちに責任を負わせるのも短絡的な考えだ。大阪市で教師になろうという若者も減り、教師の質を下げるだろう」と述べておられます。

大阪市の中学校校長からも
「むちゃくちゃだ。大阪市で教員をやりたいと思う人がいなくなる」と反発の声が上がっています。

 また、毎年高い平均正答率を出す福井の県議会は昨年、県への意見書を可決したそうです。教師に厳しく叱られた中2生徒が自死したのを受けた措置で、学力偏重が「現場に重圧を与え、教員と生徒のストレスの要因になっている」と指摘し、教育行政のあり方を根本的に見直すよう求めたものでした。

平均正答率が高いところでも、子どもが自死に追い込まれる事態を招いているのですね。

 そもそも、毎年数十億円もかけて対象学年の全員に受けさせる調査が、本当に子どもたちの教育に役に立っているのかと思います。文科省は子どもたちの教育の向上のために行っていると述べておられますが、学校の序列化を招き、競争を過熱させる副作用の方が多いように思います。調査にかかる費用はわたしたちの税金なのです。その予算があれば、もっと教員を手厚く配置したり授業方法を研究したりする費用に回せないものかと思います。

 もちろん、シュタイナー教育には、テストで子どもを評価することはありません。
シュタイナーは「性的成熟以前に、テストによる不安は人間の生理的な機構全体を非常に危険にさらします。それは、人間の生理的・心理的な素質を悪い方向にかりたてることになるのです。最もよいのは、あらゆる試験制度を廃止することです」と述べておられます。シュタイナーは、子どもの成長にとって生理的・心理的に害を及ぼすという理由から、明確に試験制度の廃止を主張しました。

 テストをして、今子どもたちがどれだけ理解しているかを把握しなければならないという考え方もありますが、教師は、テストをしなくても子どもたちがどういう状態であるかを知らなければならないといいます。

 また、シュタイナーは、政治と経済と精神(教育)のそれぞれの機構は相互に関連しつつも、相互において互いに独立するべきだと述べておられます。自立した私立学校が政治からの独立という点で望ましいと。

 日本の戦前の教育が、軍国少年、軍国少女を育成し、戦争へと突き進んでいきました。今も教育無償化という美名の下、国の介入を強め、産業の発展や競争力強化に役立つ教育が推し進められているように思います。

わたしが一番危惧していることは、このような考え方が乳幼児保育の場にも下りてきているということです。
 小学校へ行く前から早期教育を行うこと、学校での授業形態に早くなれるということで、設定された保育の下、自由に遊ぶ時間を奪われてしまうこと等です。

 わたしたちが目指す保育は、目には見えないものばかりです。
意志の力や想像力、人との関係性など、どれだけ育ったかは計れませんし、目には見えません。
でもたんぽぽの根のように、目には見えないけれど、春には美しい花を咲かすことができるのです。まさに、わたしたちの保育は、たんぽぽの根を育てているのだと思います。
 そして、一人ひとりの子どもたち。どの子も同じ子どもはいません。さまざまな個性と才能を秘め、この世での使命を果たすために生まれてきたのです。小鳥と鈴とわたしのように、みんな違ってみんなすばらしいのです。

 みえぬけれどもあるんだよ
 みえぬものでもあるんだよ

 すずとことりとわたし
 みんなちがってみんないい

by kusunokien | 2018-09-14 11:41 | くすのき園つうしんより

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