道徳のはなし

北野武氏(ビートたけし)の「新しい道徳」という本を読みました。
文部科学省によって道徳の授業が教科の一つになったのを受けて
武氏がその教科書に突っ込みを入れた本です。

今、子どもたちによるいじめや自殺が事件として取り上げられているのを受けて、文部科学省がもっと子どもたちに道徳教育をと教科の一つとして取り上げるようになったのだと思います。
が、どうも引っかかるのです。武氏もそう思ったのでしょう。

武氏は
「これが道徳です。と数学の真理と同じ調子で子どもたちに教えるのは間違いだ。
それは一つの価値観、あるいは思想を子どもたちの脳みそにうつし込むということ。
道徳というのは他の教科のように理屈で教えられるものではない。
道徳は、支配者がうまいこと社会を支配していくために考え出されたもの。
太平洋戦争の道徳教育を考えれば、あの時代、道徳は庶民を操る道具だった。
権力者は自分の都合で道徳を作る。都合が悪ければ道徳もころころ変わる。
時代と共に、ころころ変わるのが道徳の宿命なのだ。道徳は良心とは違うのだ。」
と述べておられます。

私も引っかかっているのは戦前の道徳教育を考えるからだと思います。
あの時代、お国のために戦争に行き天皇のために死ぬことは最も道徳的な人と教育され、
たくさんの人々が犠牲になりました。
政府が勧める道徳教育は意図がないかどうか気をつけて見ておかないといけません。

けれども、子どもたちには、何を大切にどう生きていくのかということを導いていくのは、
親や子どもと関わる教師たちの大事な使命としてあります。
子どもたちには、利己主義を克服し、他の人に役立つような人に育って欲しいと願います。
では、どのように導いたらいいのでしょう。

私は、シュタイナー教育の中に希望を見出しました。
シュタイナー教育ではあらゆる授業が倫理的なものと結合するのです。

たとえば算数の授業では、総計から出発して部分にわける方法で足し算が教えられています。つまり合計から出発して個々の数へ移っていくのです。
普通足し算は5+3=8というふうに学びますが、8=5+3と習うのです。

シュタイナーは「この方法は、言葉にいい尽くせないほど大きな影響を与えます。
もし、子どもが数を数えて増していく方法になれますと、欲望に従って行動するという傾向が生じてまいります。もし、全体から部分へと進んでいき、また、それに対応した掛け算のやり方を学んでまいりますと、子どもは欲望を過度に発展させることなく節度が育ちます。」と。

今まで学校の授業で当たり前に学んできた方法が欲望に従って行動する傾向が生じるなどとは思いもよらないことでした。

しかも、総計から始める足し算では答えが一つではないのです。
算数の答案は、常に正しいか間違っているかしかなかったのですが、
全体からですと8=6+2でも4+4でも8です。答えはその他にもたくさん考えられるのです。

無限に物やお金はないということ。
有限な物やお金をどう使うかは個々の人に任されていること。
そして答えは一つではないということ。こんな大切な真理が含まれているのですね。

もちろん、算数の授業だけではなく、倫理的な判断を形成することができるように準備してやることも大切です。

シュタイナーはかくあるべしという規律ではなく、過去や現在の優れた人たちの話を聞かせること、空想上の人物の優れた行いを語り聞かせることなどを通して、子どもに善に対しての像を与えることができるといいます。
どの人物が優れているのかという判断は大人にゆだねられているのですが。

何はともあれ、一番大切なことは、模範となる行為を子どもの目の前に提示することです。
それはつまり子どもの身近にいる大人がどう生きているかを見せること。
武氏も自分の道徳観は母親から今も影響を受けていると述べておられます。
武氏がいうように、道徳教育を人任せにするのではなく、自分自身がどう生きるかとしてとらえることこそ大切なことなのですね。
これが一番難しいことなのかもしれません。

樋口 早知子

by kusunokien | 2016-01-12 11:06 | くすのき園つうしんより

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