新年に思うこと その二 「おもちゃのこと」

また、また新聞の記事のこと。
見つけました。「脱成長、豊かさ問う欧州」という見出しを。

ギリシャの赤字隠しが引き金となった欧州の借金危機。
そのなかで、「成長に幸せを感じない」との声が静かに広がっているというのです。
ギリシャでは物々交換や自給自足に取り組む人の輪が広がっているとのこと、
ドイツではモノを貸し借りする「モノの図書館」が人気を集めているとか。
経済、文化の「再ローカル化を」訴えるフランスの思想化セルジュ・ラトゥーシュ氏は、
成長という信仰から離脱するためのスローガンとして「脱成長」を掲げておられます。



脱成長という発想は、地球は有限だという環境保護の視点から資源の枯渇や人口問題を警告しています。
もう一つは、大量消費をあおる社会が文化を壊すという批判でした。
危機は政治や経済にとどまらず、社会や文化、環境など多岐にわたる現在文明そのものの危機だという認識を持たなければならないと述べておられます。

昨年、くすのき園では「あやとり」遊びが流行りました。この遊びはどの子もとりこになり夢中にさせました。

おもちゃはたった一本の紐です。
その紐から、橋や飛行機、滑り台、かぶと、ネクタイ、トンボ…いろんなものが生まれます。
本当に魔法の紐です。

今の子どもたちでも、テレビやゲーム機から守ってあげれば紐一本でも夢中で遊べるすべを失っていないのだということをあらためて感じました。
縁側で日向ぼっこをしながら二人で「あやとり」をする姿はとてもほほえましく、かわいいです。

 「霊学の観点からの子どもの教育」という本のなかで、シュタイナーはおもちゃについて次のように述べておられます。

私たちが使い古したテーブル用のナフキンを巻いて、子どもに人形を作ってあげるとします。ナフキンの二つの先端部分は、両腕になります。別の二つの先端部分は、両脚になります。さらに結び目をつければそれが頭になります。…

ところで私たちはこのようなナフキンの人形を作る代わりに、頭に毛を植えられ、頬に色をぬられた、いわゆる「きれいな」人形を買ってきて子どもに与えることもできます。もちろん、霊学の観点からみると、このような人形はじつにいとわしいものであり、子どもの健全な美的感覚を生涯にわたって台無しにするのにふさわしいものです。…

ナフキンを巻いて作った人形を前にするとき、子どもが想像力で補うことで、はじめてそれは人間の姿に見えるようになります。このような想像力の活動は、脳の形態を形成するのに働きかけます。このとき脳は、手の筋肉が適切な仕事を通して発達するのと同じように成長していきます。

これに対して、「きれいな人形」を与えられたとき、子どもの脳は何もする必要がありません。そのため脳は、発達する代わりに成長を止め、干からびていきます。…

生命を欠いた、幾何学的な形態だけでできているおもちゃは、子どもの中の形成力を荒廃させ、死滅させるように作用します。
これに対して、子どもの中に生きた存在の表象を呼び起こすようなおもちゃは、すべて子どもの形成力に正しく働きかけます。

現在のような唯物論的な時代においては、よいおもちゃはほんのわずかしか生み出されません。

シュタイナーの生きた時代から100年が経った今、状況は深刻です。
シュタイナーはこんな時代が来ることを予感していたのでしょうか。

今のような消費社会にあって、おもちゃも同じです。
次から次へと新しいおもちゃが登場し際限がありません。
特に今の子どもたちを夢中にさせているゲームソフトなどは高額でびっくりさせられます。
なんとかピリオドを打つことを目指さなければと思うのですが。

くすのき園にあるおもちゃは、みんな質素で素朴な手作り物や、拾ってきた木の実や貝殻といったもの。
買い換える必要もなく、同じものでも次々と新しいあそびが生まれ、飽きることがありません。

私は、戦後の貧しかったときに子ども時代を過ごしました。
家の前の路地にござを敷いて、座布団で作った人形で遊んだことを思い出します。
お金もモノもなかったけれど楽しく幸せだったなあと…。

貧しく粗末に見えるおもちゃこそ、子どもの成長に欠かせないおもちゃなのだということをあらためて思います。
シュタイナー教育を通して、今の経済危機を「脱成長」の視点で乗り切っていく輪が広がるよう歩んでいくことができればと思います。

樋口早知子

by kusunokien | 2013-01-09 20:06 | くすのき園つうしんより

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