「上位感覚」 ( アルバート・スズマン著 『魂の扉・十二感覚』)

今回は、最後の感覚、上位感覚です。
上位感覚は聴覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚です。

最後の三つの感覚は聞きなれない言葉です。
これらは、シュタイナーによって初めて見いだされた感覚です。




私たちは下位感覚(触覚、生命感覚、運動感覚、平衡感覚)によって肉体的な活動を知覚しました。
中位感覚(嗅覚、味覚、視覚、熱感覚)によって周りの世界を知覚しました。
そして上位感覚は社会的な感覚といわれ、他者を知覚する感覚です。
下位感覚と中位感覚だけでは他の人を感得することができないとシュタイナーは言います。
上位感覚は十四歳ごろから成長します。

では一つ一つの感覚を見ていきましょう。


聴覚
何故、聴覚が中位感覚ではなく上位感覚なのでしょう。
私は以前、耳の聞こえないお母さんと、目の見えないお母さんの子どもの担任をしていたことがあります。
目の見えないお母さんとはコミュニケーションはスムーズだったのに対して、耳の聞こえないお母さんとはなかなか思いを伝えられなくて苦労した覚えがあります。
これは、感覚論を学ぶ中で明らかになりました。

視覚は、事物の表面しか見ることができないのに対して、聴覚はもっと深く事物の中へ入っていくことができるのだそうです。
これは目と耳がどのように作られたかによって知ることが出来ます。
目は、好奇心にあおられて脳の一部が前へ向かってできたのに対し、耳は皮膚の一部が内へ内へと向かってできました。
内耳の深さは人間にしか見られないそうです。

深い内耳の中で何が行われているのでしょう。「耳を澄まして聴く」ということです。スズマン氏はいいます。
聴くという行為は、自分自身に対して距離を置き、他の物、あるいは他の人間の中へと、自らを無にして没入することを意味すると。

また、スズマン氏は、私たちは聴覚の世界をないがしろにしているとも言われます。
聴くための条件として「静けさ」がありますが、私たちの社会において「静けさ」はもっとも脅かされているものです。
たえず聞こえる機械の音。それらから子どもたちを守ること。意識して取り組んでいかなければと思います。
聴覚は下位感覚の平衡感覚が土台になっています。平衡感覚を司る三半規管が内耳にあります。
私たちの心身の平衡が保たれてこそ、耳を澄まして聴くことができるのです。


言語感覚
聴覚ではその人の言っていることが理解できません。
言葉の意味は言語感覚を通して理解できるとシュタイナーは言います。
物音や音楽を聴くのと言葉を理解するのは別だというのです。言語感覚は言葉を理解する感覚です。

言語感覚の土台になっている感覚は、下位感覚の運動感覚です。
小さい子どもは動くことで言葉を覚えます。動きでうれしい気持ち、悲しい気持ちを表現します。
物の名前を覚えるとき、「あれは何?これは何?」と指差しをします。
言葉と運動は密接な関係にあるのです。


思考感覚
思考感覚は自分の思考を感じる感覚ではなく、他者の話す言葉の背後にある意味を理解する感覚です。
私たちは常に自分の思いを言葉で十分言いあらわせないもどかしさを感じています。
言葉の背後にあるその人の思いを感じることを可能にしてくれるのが思考感覚です。

思考感覚は下位感覚の生命感覚が対応しています。思考感覚は生命感覚を通して発達します。
考えてみれば、自分自身のこともわからなくなっていたのでは、到底他者の考えを理解することなどできません。


自我感覚
自我感覚は自分の自我を感じる感覚ではなく、他者の自我を感じる感覚です。
その人の本質を理解する感覚なのです。自我感覚は私たちにとって最も未発達な感覚だとも言われています。  
自我感覚は下位感覚の触覚と対応しています。触覚が未発達だと他の人を理解することが非常に困難です。


上位感覚が育たないと中位感覚を使うようになるといいます。
「あの人は見るだけでいやだ。」「あの人がそばに来ただけで寒気がする。」など感情によって他者を判断するようになるのですね。

上位感覚は、下位感覚の土台の上に発達します。
現在の社会、人との関係がうまくいかず社会生活に支障が出てきている人が増えています。
誰もが、他の人を理解し共に歩むことの困難さをいつも痛感しています。
下位感覚が成長する、〇歳から七歳までの子どもの育ちがどんなに大切であるかがわかります。
そのことを忘れず日々の保育に取り組んでいきたいと思います。


樋口早知子

by kusunokien | 2011-09-08 18:49 | くすのき園つうしんより

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