からだの不思議 ~健康と病気~

 シュタイナーの「からだの不思議を語る」という本を読みました。

 シュタイナーは「精神的なものが目に見えるものを創造する。」と語ります。

 私たちは、不安や恐怖を感じるとき、血液はからだの表面から引いて中心部に集まります。また、涙が出るのは悲しいときです。涙が出るから悲しいのではないですね。悲しいから涙が出るのです。心の経過の結果として、からだに経過があるのです。精神的、心魂的なものにからだが影響を及ぼすのではなく、精神的、心魂的なものがからだの土台になっているのです。
 シュタイナーは、「どの機械の背後にも制作者、整備士がいります。時計はひとりでに出来上がったのではありません。時計職人が作ったのです。何かができるためには、まず精神的な建設者がいなくてはなりません。」と語ります。

 シュタイナーは「健康と病気は、肉体だけに関係するのではなく人間の心と精神にも関係している。」と述べています、

 植物には心がありません。ですから植物の病気の原因は常に、外的な原因によるものです。土の有害な影響であったり、寄生虫、日照不足、風などの自然の作用などが植物を病気にさせます。一方人間はとても複雑な生きものなので病気になる原因を見出すのは容易ではありません。身体の健康を考えた場合、心のありようをも同時に配慮されなければならないという考え方は、最近では一般的になってきています。
 しかし、子どもにどのような生活をさせるか、どのような教育を受けさせるのかということが、子どもの健康と病気に結びつくと考える人は少ないように思います。

 シュタイナーは「子どもにたえず、いろいろひどい食品を食べさせ、記憶力に過剰な負担をかけて勉強させています。するとその子は正気を保てません。大人が子どもの精神を消耗させるのです。単に精神を消耗させるのではありません。精神はたえず身体に働きかけるのです。子どもに誤った教育をすると、その子の一定の器官を硬化させます。子どもの脳に負担をかけすぎると腎臓が病気になります。」といいます。

 腎臓は、脳の中の思考と結びついているのだといいます。脳の活動が秩序正しくないと腎臓の活動も順調ではなくなるのだそうです。子どもに勉強させすぎ、たくさんのことを暗記させると脳はまともに働かなくなると。脳はたくさん活動しすぎて、くたびれ硬化します。脳が硬化すると一生の間、脳は正規に働かなくなると。
 そして、人体はよく持ちこたえることができるので、全身がもはや正常に働かない、腎臓も正常に働かなくなるのは後年になってからなのだそうです。五〇歳ごろから現れる病気の原因は乳幼児期にあるとまでいいます。
 
 脳に負担をかけるということは、からだのあちこちにも負担をかけ病気への原因に結びつくということなのでしょうか。しかも、症状が現れるのはすぐにではなく後年になってからというのも気づきにくい要因になっているのですね。

 私たちは、子どもには健康で幸せな人生を送って欲しいと願って子どもを育てているのですが、子どもの心にも寄り添って負担をかけていないか気をつける必要があるのですね。

 また、シュタイナーは子どもが病気になる可能性が最大なのは乳幼児期だと述べておられます。永久歯が生えると、本来病気になる内的傾向はなくなります。人間は本質的に、永久歯が生えてから性的に成熟するまでの時期が最も健康です。その後再び病気になりやすい時期が始まります。と

 確かに子どもが小さい頃はよく熱を出し病気をしますが、小学校になると不思議なくらい毎日元気に暮らすようになりますね。
 
 シュタイナーは乳幼児の病気の多くは、両親から受け継いだからだを自分自身のからだに作り変えるための試練なのだといいます。子どもは七年かけて自分のからだを新しく構築するのだそうです。

 子どもは、生まれてから一歳ぐらいになるまでは病気にはとんどなりません。親の免疫がまだ残っているからです。一年が過ぎた頃から、親の免疫がなくなり始め、自分で免疫を作っていかなければなりません。小児病のほとんどが一度その病気にかかると、二度とかからなくなるといわれています。それはその病気に対する免疫ができるからです。病気はそのための試練であるともいえます。代表的なものでは、はしか、風疹、おたふくかぜ、水疱瘡などがそうですが、最近は予防注射などで予防することができ、集団で発病することが少なくなりました。

 シュタイナーは、病気の本質のところでこのように述べておられます。

 「健康であろうとするなら、病気をさけてはいけません。病気は健康の条件なのです。病気の結果、人間は強くなるのです。病気から免疫という果実を得ます。私たちが強さや健康を欲するならその前提条件である病気を背負わなければなりません。力強い健康を生み出すために、自然は病気を作り上げたのです。」と
 シュタイナーの生きた時代から今では医療も随分進歩しました。しかし医療がどんなに進歩しても決して病気はなくなりません。病気の本質は変わらないように思います。

 幼い頃、病気になったときのことを思い出します。いつも、ああしろ、こうしろとガミガミうるさい母親が、病気になったとたん優しくなるのです。病気になるのも悪くないなあと思っていました。
 子どもにとっては病気を克服したとき、病気になってしんどい、つらい思い出よりもむしろ、両親の優しさ、愛情を再確認する楽しい思い出として残るのではないでしょうか。

by kusunokien | 2018-04-10 15:26 | くすのき園つうしんより